ユネスコ加盟70年の歴史をたどる 第1回 プロローグ

2021-11-26T16:47:58+09:002021年11月1日|

「ユネスコ加盟70年の歴史をたどる」

今年は、日本のユネスコ加盟70周年に当たります。これから不定期に(目標は一月に2回)、70年の歴史の中で記憶されるべき出来事を交えながら、ユネスコと日本の関わりについて御紹介したいと思います。

私は、1998年(平成10年)3月から2001年(平成13年)1月にかけて、日本政府のユネスコ常駐代表部(当時は組織上は在仏大使館の一部署)で書記官として働いており、それから20年ぶりにまたユネスコの仕事に関わることになりました。この20年で変わったところもあれば、変わっていないところもあるように思います。ユネスコ創設および日本の加盟以来の様々な出来事を追っていくことで、ユネスコの本質が見えてくるのではないかというのがこの寄稿の狙いです。私とユネスコとの関わりは公のものですが、ここでの記述には私の個人的な感想が含まれており、政府の見解ではないことを最初に申し上げておきます。

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ユネスコは、日本が先の大戦で敗戦した後に初めて加盟した国際機関であり、当時青年だった世代の方々にはなじみが深い機関だと思われます。私がこう思うのは、プリンストン大学留学経験者による行天豊雄先生(旧大蔵省を退官後、プリンストン大学でしばらく教えていた)を囲む会に若い頃参加し、「今文部省の国際学術課という部署で働いています」と申し上げたところ、「ユネスコとかに関わっているの?」と聞かれ、この世代の人にはユネスコはそんなになじみ深いものだったのかと驚いたことがあったからです。

かくいう私も、小学生の時には、埼玉県所沢市にある西武園の西端にあった「ユネスコ村」に遠足に行った記憶があります。学校行事として行ったものなので、小学校教育の中でもユネスコが取り扱われていたことになります。ユネスコ村には、当時のユネスコ加盟国60か国のモデルハウスが建っていたのですが、なにぶん子供の頃のことなので、それ以上の記憶はありません。今のGoogle Mapを見ると、「ユネスコ村駅跡」と書いてあるだけです。

一方、私が旧文部省で初めてユネスコと関わった頃の日本の若い人たちの間では、ユネスコはほとんど知られていなかったと思います。「名前は聞いたことがある」という程度で、たいていはユニセフと混同していました。ユニセフは募金活動を熱心にやっていましたし、年末になるとユニセフのGreeting Cardを買う人がたくさんいて、よく知られていました。

今では「世界遺産」を通じて多くの日本人がユネスコの名を知っています。私たちにもなじみのある文化遺産・自然遺産が「世界遺産」リストに多く登録されているからです。しかしユネスコの事業はほかにもたくさんあります。日本が世界遺産条約に加盟(批准)したのは、1992年(平成4年)です。ユネスコに加盟した1951年(昭和26年)からの40年間にも様々な形で日本は関わっています。これは私自身も経験していない時代のことなので、古い本や資料を読んで知ったことですが、次回は日本がユネスコに加盟する前の出来事を追ってみたいと思います。

執筆者

町田大輔
文部科学戦略官

1986年(昭和61年)、文部省(現文部科学省)に入省。文部科学省・文化庁内の各部局のほか、他省庁、地方、独立行政法人、大学、研究所で様々な業務に携わったが、科学と国際分野の経験が比較的長い。1996~2002年、旧文部省国際学術課課長補佐、在仏日本大使館(ユネスコ代表部)一等書記官、文化庁国際文化交流室長としてユネスコに関わった。2021年4月から現職。

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