1951年6月21日、日本は第6回UNESCO総会(パリ)で、60番目の加盟国として、UNESCOへの加盟を認められ、7月2日に手続きを完了しました。今からちょうど70年前のことでした。

国連機関で最初に日本を加盟国に

当時、日本はまだ連合国軍の占領下にあり、独立国家として認められていなかったにも関わらず、国連機関で最初に日本の加盟を承認したのがUNESCOでした。これは、戦後の日本が国際社会へ復帰する大きな第一歩となりました。そしてその背景には官民一体となった大きな希望のうねりがありました。

市民が果たした大きな役割

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
この一文から始まるUNESCO憲章の理念に賛同し、1947年から始まった草の根のユネスコ運動。人びとの平和への思いを結集し、同年11月に第1回ユネスコ運動全国大会を開催、会場となった日比谷公会堂には2000人もの人が集まったと言われています。官民一体となったUNESCO加盟運動が、「平和国家としてUNESCO加盟国となり、国際社会への復帰を果たす」という夢を現実のものとしたのです。
日本の国連への加盟が承認される5年も前のことでした。

UNESCO憲章の理念に基づく活動を実施

当初の目的であったUNESCO加盟を果たした後も、UNESCO憲章の理念に基づき活動を継続して74年。UNESCO憲章の前文にある「疑惑と不信をおこさぬよう相互の風習と生活を知る」ために、「文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育」のために、そして「人類の知的及び精神的連帯」を育むために、草の根の立場から私たちにできることを、国内・海外で実施しています。

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