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ユネスコ職員 長岡正哲さんに聞く「ユネスコとわたし」

ユネスコ未来共創プラットフォーム事務局では、2025年12月5日(金)~2025年12月11日(木)にかけて「第4回ユネスコウィーク(UNESCO WEEK 2025)」を開催中です!

「第4回ユネスコウィーク」の一環として、ユネスコ東アフリカ地域事務所 文化担当地域アドバイザー 長岡正哲さんに「ユネスコとわたし」というテーマでインタビューをしました。


Q:長岡さん、本日はインタビューの機会をくださりありがとうございます。はじめに自己紹介として、これまでのご経歴について、またユネスコでのお仕事についてお話いただけますでしょうか。

私はもともと、外国の文化や人々の暮らしに強い関心を持っていました。日本の大学を卒業したあと、もっと広い世界を見たいという思いからアメリカに渡り、大学院で考古学と美術史を学びました。当時から、「人が創ったものには、その時代を生きた思いが宿っている」という感覚がありましたが、学びを深めるうちに、遺跡や建物は単なる“古い遺物”ではなく、人が生きた証そのものなのだと感じるようになりました。

ユネスコに入ってからは、そうした「人の思いが刻まれた場所」を未来へどう繋いでいくかという仕事に取り組んできました。カンボジアやアフガニスタン、東チモール、インドネシアなど、戦争や自然災害で傷ついた地域での活動も多く、現地の方々と話すたびに感じるのは、「文化を守るということは、人の心を支えること」だということです。アフガニスタンのバーミヤンでは、破壊された大仏の跡を前に、ある現地の方がこう言いました。「この空洞も、私たちの歴史なんです。」その言葉が今も胸に残っています。失われたものをただ“修復する”のではなく、その場所に刻まれた記憶や、そこに生きる人々の誇りをどう守り、次の世代へ伝えるか。それこそが、私の仕事の中心にあります。

私自身、現場に立って人の声を聞くことを何よりも大切にしています。国際機関というと堅い印象を持たれるかもしれませんが、実際は人と人との信頼の積み重ねです。文化を守る仕事とは、最終的には「人と対話し、理解し合う仕事」だと思っています。だからこそ、現場に根ざすことが欠かせません。

現在はアフリカのナイロビ事務所で、東アフリカ13か国のさまざまな文化遺産の保護に携わっています。一つひとつの遺跡の背景には、必ずそこに生きる人々の物語があります。その物語を聞き、理解し、尊重しながら、未来の世代へ手渡していく。これからも、そんな仕事を続けていきたいと思っています。
 

Q:以前は世界遺産センター(ユネスコ パリ本部)、ユネスコ・ジャカルタ事務所、カブール事務所、プノンペン事務所でご勤務され、現在はユネスコナイロビ事務所でご勤務されているとのことですが、事務所ごとで働き方等にちがいはありますでしょうか。

ユネスコの事務所は、国や地域によってまったく違う“空気”があります。カンボジアのプノンペン事務所では、遺跡の修復現場に行けば、靴が泥で真っ白になるのは当たり前でした。現場で働く職人たちと、暑い日差しの下で一緒に昼食をとる。そうした日々の中に、文化を守るという仕事の本質がありました。アンコールの遺跡群が朝もやの中から姿を現す瞬間は、何度見ても息をのむほど美しいのを思い出します。そして2023年に世界遺産リストに登録されたコーケー遺跡では、ジャングルの奥で突如あらわれる階段状の巨大なピラミッドが、まるでインカ帝国の神殿のようで心を奪われました。静寂の中にただ鳥の声と風の音だけが響く。石段を登りながら、私は「人はなぜこれほどまでに空に近づこうとしたのだろう」と思いました。遺跡とは、過去の記録ではなく、信仰や人の祈りの形だと感じました。

インドネシアのボロブドゥールでは、2010年にムラピ山の噴火によって遺跡全体が火山灰に覆われました。現場に駆けつけると、仏塔が白い灰の中で静かに眠っているようでした。しかし村の人々は、誰に言われるでもなく総出で遺跡の清掃を始めていました。年配の女性も、子どもも、竹箒を手に一段ずつ石段を磨いていく。その姿は神聖で祈りそのものでした。私たちはその経験を通して、同じことが起こってもすぐ対処できるよう、初めて本格的なボロブドゥールの「危機管理計画」づくりのお手伝いをしました。イスラム教徒が仏教遺跡を、自分達の文化遺産として“生きた存在”として大事に扱う。あのときの灰のにおいと、人々のまなざしが今も忘れられません。

アフガニスタンのバーミヤンでは、2003年に破壊された大仏の跡に初めて立ったときの衝撃を今でもはっきり覚えています。大きな空洞の前に立つと、風の音しか聞こえない。しかしその沈黙の中に、人々の痛みと誇りが確かに息づいていました。現地の人たちと何度も話し合い、「この跡をどう未来に残すか」を議論しました。その村の長老が言いました。「壊れたままでいい。この空洞が、私たちの祈りなんです。」その言葉に私は深くうなずきました。文化を守るとは、元に戻すことではなく、歴史や人の心の記憶を受け継ぐことなのだと。そして、バーミヤンの経験と並んで忘れられないのが、アフガニスタン国立博物館の人々のことです。

内戦やタリバンの支配下で、多くの文化財が破壊される危険にさらされていた時代。それでも博物館の職員たちは、自分たちの命を懸けて文化財を守りました。タリバンが博物館に来て全ての文化財を破壊する前に、夜中にガラスケースから仏像や陶器を取り出し、地下の物置や民家に運んで隠した博物館員たち。「もし見つかれば自分も家族の命も危ない」と分かっていながら、それでも彼らは動きました。ある職員は私に静かに言いました。「私たちが守ろうとしたものははただの文化財ではありません。私たちの歴史と魂そのものです。」その言葉は今でも胸に刺さっています。文化を守るということは、国家や制度を超えて、人の誇りと希望を守ることだと教えられました。こうしたアジアでの経験が、今の私の“現場主義”の原点です。

現在のナイロビ事務所では、東アフリカ全体を対象に、文化遺産や無形文化遺産の保護活動を行っています。机の上で仕事するより、現場に行き、人の声を聞く。それが私のスタイルです。ケニアのタイタタベタ村では、2025年12月に無形文化遺産リストに登録された「ムワンジンディカの聖なるダンス」の支援を行いました。村に入る前に悪霊を祓う儀式を受け、長老と聖なるお酒を酌み交わしました。太鼓の音が森に響き、円になった村人たちが踊りながら祈る光景は、文化というより「生きる力」そのものでした。

エチオピアのジマ村では、コーヒーセレモニーの無形文化遺産登録支援を行いました。炭火で煎る豆の香ばしい香りと、三杯のコーヒーが意味する友情、平和、祝福。その静かな時間の中に、人の営みの美しさを感じました。ルワンダのキガリ近郊では、伝統装飾芸術「イミゴンゴ」の無形文化遺産の登録支援に携わりました。牛糞と土から作る顔料で幾何学模様を描くその芸術は、1994年に起こったルワンダンの大虐殺が原因で一度途絶えかけました。村の若者が「この模様を描くと、祖母の声が聞こえるようなんです」と語ったとき、私は胸が熱くなりました。

過去を残すのではなく、今を生きる人の記憶を未来へつなぐ―それが文化遺産の本当の意味だと思います。アジアでは“遺産を残す”ことが中心でしたが、アフリカでは“文化を育む”ことが中心です。ユネスコの現場とは、世界の人々の暮らしと心の中にある「誇りのかたち」を見つけ、それを次の世代へ手渡していく場所なのだと思っています。

 

Q:ユネスコの職員としてご勤務されるなかで感じた課題や困難はありますでしょうか。今現在感じていらっしゃることでも結構です。具体的なエピソードがあれば是非教えてください。

アフリカで文化遺産の仕事をしてきて感じる大きな課題の一つは、この大陸の文化遺産が世界遺産リストでいまだに十分に評価されていないことです。2025年の時点でも、アフリカの登録数は全体の一割にも満たず、その多くが危機遺産リストに入っています。これを単に「登録申請書類作成の能力不足」や「制度の遅れ」「資金不足」といった問題として片づけるのは簡単ですが、私はもっと深いところに本質的な課題があると感じています。それは、「文化遺産とは何か」という考え方自体が、長いあいだ西洋の価値観を中心に築かれてきたということです。

1994年に始まったユネスコの「グローバル・ストラテジー」は、世界遺産リストの地域バランスを是正する取り組みでしたが、その後30年経っても状況は全く変わっていません。ユネスコはこの間、アフリカ各地でキャパシティ・ビルディング(能力強化)事業を行ってきました。しかし、2023年に私がアフリカで働き始めてから、次第にこの方策に違和感を抱くようになりました。「能力を上げれば登録が増える」という発想の裏には、そもそも“どんな文化を『顕著な普遍的価値』とみなすのか” という根本的な問いが欠けているからです。

アフリカの文化を正しく評価するためには、まず「遺産とは何か」という定義そのものを見直す必要がある、そう強く感じました。

たとえば、アフリカでいう文化の「真正性(authenticity)」とは、必ずしも“形が残っていること”を意味しません。遺産は固定されたものではなく、人々の記憶や行為の中で生き続けるものです。ケニアのタイタタベタ郡で支援した「ムワンジンディカの聖なるダンス」もそうでした。踊る場所は時代によって変わり、建物も残りませんが、儀礼の精神や祖先とのつながりが受け継がれることで、文化的儀礼を行う「本質」は失われず、それを行う文化スペースには伝統的な価値があります。人々が生き、祈り、語り継ぐことで形を変えながら続くことが行われています。

ルワンダのナンザの丘では、代々の王が木と藁で宮殿を建ててきました。王が亡くなると、新しい王は別の場所に新しい宮殿を建て、古い建物はやがて朽ちていきます。それでもその土地の記憶は消えず、やがて一本の木が生え、村人たちはそこに供物を捧げ祈りを続けます。その木は「生きた記憶」となり、祖先の魂が宿る場所として尊ばれます。建物が残らなくても、精神と記憶が続いている。それこそがアフリカ的な文化遺産の真正性のあり方です。

また、西アフリカのブルキナファソ南部のティエベレでは、カッセナ族が幾何学模様の装飾を施した日干しレンガの家を代々建てています。驚くことに、彼らは雨季が来る前に自ら家を壊し、乾季になると同じ場所にまた建て直します。壊すことが「再生」であり、祖先の知恵を次の世代に伝える儀礼なのです。家そのものが“永続する物”ではなく、“作り続ける行為”こそが文化の中心にある。つまり、形を保つことではなく、作り直し続けることによって文化が生きているのです。こうした事例に触れるたび、私は「形が残らなくても、人々の記憶と共に心の中に続く文化こそがアフリカの真正性である」と確信します。アフリカの文化遺産とは、保存ではなく日々更新する営みそのもの。生き続ける文化が“真正性“としてあるのです。

この考えをより広く理解してもらうために、2025年にナイロビで「アフリカの真正性に関する国際会議」を開催しました。アフリカ中から400人以上の文化担当者・専門家が集い、「文化遺産の真正性とは、物質的な形に限らず、記憶・儀礼・自然との関係などを含む多層的な概念であり、時代や場所とともに変移するものだ」と定義する「ナイロビ文書」をまとめました。これは、1994年の「奈良文書」がアジアの視点を世界に示したように、アフリカから新しい遺産の概念を提案する試みです。

アフリカの遺産は、“残るもの”ではなく“生きて変わり続けるもの”。そして、物の形よりも、人々の心のつながりを重んじる。この視点を世界遺産条約の作業指針に反映させることが、真に多様で公平な遺産のあり方につながると信じています。もちろん、国際条約の制度や評価の仕組みを変えるのは簡単ではありません。しかし、アフガニスタン・バーミヤンで出会った人々が「この空洞も私たちの歴史だ」と語ったように、文化の本当の価値は“形が残ること”だけでなく、“人々の記憶の中で生き続けること”にもあります。その思いを胸に、私はこれからもアフリカの現場で、人々とともに“生きている遺産”を未来へつないでいきたいと思います。

 

Q:ではユネスコの職員として、やりがいを感じたエピソードがあれば教えてください。

ユネスコで働く中で最もやりがいを感じるのは、自らの発想や現場で感じた課題を、その国の人たちと対話しながら具体的な事業へと形にしていけることです。そしてその結果が、その国の文化行政や法律に反映されていくことです。

私は常に、現場で人々の声を聞きながら、その国の課題や可能性を探り、それをユネスコの枠組みの中で国際的な協力へと発展させてきました。もちろん、そのためには予算確保やパートナーシップの構築といったことにも力を注がなければなりません。それらを乗り越えて一つのプロジェクトが形になり、事業が首尾よく完了し、現地の人々の笑顔に触れた瞬間に、すべての努力が報われる思いがします。

最近では、「アフリカ文化遺産の真正性」プロジェクトを立ち上げたことが特に印象に残っています。これは、アフリカの文化遺産が世界遺産リストで過小評価されている現状を踏まえ、「遺産とは何か」という定義そのものをアフリカの視点から見直す試みです。最終的に、アフリカ54か国が参加する「ナイロビ文書」へとまとめ上げました。その一方、39か国のSIDS (Small Island Developing States)、いわゆる「小島嶼開発途上国」からの世界遺産リストの登録数はわずか2パーセントしかありません。アフリカと同じような自由で開かれた議論が今後必要です。そのための事業構築を現在行っています。

今年初めに発案した「気候変動と文化遺産」プロジェクトも、醍醐味を感じる取り組みです。インド洋と紅海沿岸の国々を集め、文化遺産を気候変動適応策の中に位置づけるための共同アクションプランを策定する準備をしています。まだドナー国も決まっていませんが、文化を環境政策の中に組み込むという発想は新しい挑戦であり、各国政府が一つのテーブルにつき、議論を交わすことを想像すると、国際協力の本当の力を感じると思います。その成果はCOP30やG20で、ユネスコならではの発想として発表されることが期待されます。

さらに、私はルワンダとケニアの10大学と連携して創設したクリエイティブ産業育成プログラム(CCI Development Programme)にも大きなやりがいを感じています。この事業は、若者1,000人を対象に、文化遺産と創造産業を結びつけ、若い人たちに雇用と自己表現の機会を広げるものです。文化を「守る」だけでなく「生かす」仕組みづくりを通して、ユネスコの理念が次世代の手に受け継がれていく姿を実感しました。

こうした取り組みはいずれも、現場で感じた小さな違和感や気づきから始まりました。
「これは何かがうまく嚙み合っていない」「この国の声を世界に届けたい」——そう思った瞬間に、プロジェクトの種が生まれます。そして、その思いを形にするために、関係機関や政府、パートナー国と粘り強く対話を重ね、資金を集め、仲間を巻き込みながら進めていく。まさに、ユネスコの仕事は構想を現実に変える力を試される場だと思います。

これまで多くの国で文化遺産に携わってきましたが、どのプロジェクトにも共通しているのは、人々が自分の文化に誇りを取り戻していく姿です。その瞬間に立ち会えることが、私にとって何よりのやりがいです。

 

Q:ユネスコなどの国際機関で働くことを希望する方々に向けて、何かアドバイスはありますか。

まず言いたいのは、「国際機関で働く=特別な人になること」ではない、ということです。
むしろ、日常の中で困っている人を見過ごせない人、人の役に立ちたいと思う人、そういう人こそが向いています。

また、この仕事は、完璧主義では続きません。現場では、電気もインターネットも止まる。通訳が来ない。飛行機が飛ばない。そんなときに「まあ、しょうがないか」と笑える人は強いです。そして、困っている人を見てすぐに手を差し伸べられる人は、どんな肩書よりも信頼されます。私自身、最初から国際公務員を目指していたわけではありません。ただ、「文化を通じて人を支えたい」という気持ちを少しずつ形にしてきただけです。だから、若い方々には「焦らず、自分の小さな“好き”を大切にしてほしい」と伝えたいです。その“好き”が、いつか世界のどこかとつながります。

あと、これは余談ですが、海外では「笑顔」は共通語です。難しい交渉のあとでも、相手の目を見てニッコリすれば、だいたい何とかなります。国際協力の第一歩は、きっと“笑顔の外交”なんだと思います。


Q:最後の質問です。今年度のユネスコウィークでは、ユネスコ未来共創プラットフォーム事務局による主催イベントに加え、日本各地のユネスコ活動関連団体主催による多彩なイベントが開催されます。日本で「ユネスコ活動」に関わられる方々、特にユース世代に対し、ユネスコ職員として期待されることはありますか。

若い人たちには、「世界を変えることは難しくない」と伝えたいです。それは大きなことを成し遂げる、という意味ではありません。たとえば、地元の伝統行事に参加する。おじいちゃんの昔話を聞く。地域の自然をきれいに保つ。そうした一つひとつの行動が、実は“ユネスコの精神”そのものなんです。

ユネスコの理念に「平和は人の心の中に築かれる」という言葉があります。平和って、上から降ってくるものではなく、誰かのやさしさや思いやりから始まるものなんですよね。私はアジアでもアフリカでも、そのことを何度も感じました。笑顔で挨拶を交わす。お互いの文化を尊重する。それだけで人の心は変わるんです。

そして、もう一つ。
「世界を知る」というのは、同時に「自分を知る」ことでもあります。外国に出ると、自国の文化の美しさや、日本人としての感覚に改めて気づくことがあります。だから、海外に出るチャンスがあったら、怖がらずに一歩踏み出してみてください。行った先で出会う人が、あなたの人生をきっと豊かにしてくれます。私自身、いろいろな国で働いてきましたが、どんな場所でも共通しているのは「人のあたたかさ」です。そのあたたかさを感じられる感受性こそ、ユース世代の一番の力だと思います。どうか、自分の中の“やさしさ”を大切にしながら、世界と関わっていってください。未来は、思ったよりも近くにありますよ。

 

ご回答ありがとうございました!


長岡様には、令和4年度開催の「UNESCO WEEK 2023 ウェビナー『ユネスコ職員に聞く ~ユネスコ導入編』」にもご登壇いただきました。当日の様子はこちらからご覧いただけます。

「第4回ユネスコウィーク」各イベントの詳細や参加申し込みは特設サイトをご覧ください!
https://unesco-sdgs.mext.go.jp/unesco-week-04

DATA
インタビュー

2025年11月実施

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